むろん説話の内容であり、そのまま史実とはいえないが、為時の漢詩の力が任官につながったことを示唆している。伊井春樹氏は「為時は文才によって越前守を射止めたことになり、学問の重要さがあらためて確認される」と記す(『 紫式部の実像 』朝日選書)。
つまり、道長の時代になったからこそ、為時が大抜擢される余地が生まれ、その家に光明が差した、ということはまちがいなく、為時も紫式部も、道長に大きな恩義を感じたことだろう。 この年の秋、為時は越前に赴任した。50歳を超えていたと思われる ...
そうですね。たとえば安倍真勝(あべまかつ)は、天長3年(826)に亡くなっているんですが、この人は陰陽頭で、神祇伯、甲斐守、伊予守と歴任していますが、「生まれつき質樸(しつぼく)」と書いてありまして、要するに質素で朴訥、あんまり器用な人ではなかったん ...
後世に語り継がれる詩や小説を遺した「文豪」には、世間一般の「ふつう」に馴染めなかった者が少なくない。 しかし「こじらせていた」からこそ、彼・彼女らは文学の才能を開花させることができたと言える。今回は、書籍『こじらせ文学史 ~文豪たちのコンプレックス~ ...
2024年のNHK大河ドラマは「光る君へ」。千年以上読み継がれてきた平安時代の長編物語『源氏物語』の作者・紫式部(生没年不詳)が主人公です。その『源氏物語』を猛批判したのが、江戸時代前期の儒学者で軍学者でもある山鹿素行(やまが・そこう、16 ...
歴史学者の 倉本一宏氏 は、著書『紫式部と藤原道長』の中で、 「紫式部は中宮付きの教養面での世話係を務めながら、『源氏物語』の続きを執筆することを望まれていたのであろう」 と述べています。
閻魔大王を祀り 「千本ゑんま堂」 の通称でよく知られる 引接寺(いんじょうじ) 。境内にはなんと、地獄に落ちた 紫式部 を供養するために建てられたという供養塔があります。それにしても、紫式部が地獄とは、いったいなぜ?
清少納言の父は歌人の清原元輔。康保3 (966)年頃に生まれ、橘則光の妻となって数人の子を産んでから離別し、正暦4 (993)年頃、 一条天皇の中宮・定子の女房となりました。
【史実解説】為時のおどろくべき出世の背景とは? 紫式部の父 ... であったと考えられています。 長徳2年正月25日の除目で、為時は官職を10年 ...
NHK大河ドラマ「光る君へ」(日曜午後8時)は、吉高由里子演じる紫式部を主人公に、1000年の時を超える長編小説「源氏物語」を生み出した女流作家の波乱の一代記… - 日刊スポーツ新聞社のニュースサイト、ニッカンスポーツ・コム(nikkansports ...
過去の浮気被害を明かさない 「本当に真面目な男性は、パートナーの過去における浮気の経験に対して好意的で ... いました」(33歳) 浮気から ...
1 (多く「…をもって」の形で格助詞のように用いて) ㋐手段・方法を示す。「誠意を—交渉に当たる」「書面を—申し入れる」「好意を—迎えられる」 ㋑原因・理由を示す。「過失の故を—責めを負う」 ㋒事の行われる時を示す。「九月一日を—防災の ...