むろん説話の内容であり、そのまま史実とはいえないが、為時の漢詩の力が任官につながったことを示唆している。伊井春樹氏は「為時は文才によって越前守を射止めたことになり、学問の重要さがあらためて確認される」と記す(『 紫式部の実像 』朝日選書)。
紫式部に好意をもっていたからではない…10年無職だった紫式部の父・為時を藤原道長が大抜擢したワケ 道長が政権を取ったことで、紫式部親子 ...
10年も任官がなかった紫式部の父・藤原為時 ... は漢詩文だったことになる。 道長が紫式部に対して好意をもっていたからではない 『本朝文粋 ...
歴史評論家の香原斗志さんは「長いこと出世には縁がない下級貴族だっ ... 抜擢された」という――。 10年も任官がなかった紫式部の父・藤原 ...
だが、そんなふうに過ごし、厳しい冬を越えて長徳3年(997)の春を迎えたころ、遠縁で旧知の藤原宣孝(ドラマでは佐々木蔵之介が演じている)から、求婚の歌が届いた。そして、何度か歌を交わし合ったのちに、結婚の決心がついた紫式部は、その年末か、翌長徳4年( ...
紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長 ... だらけだったに違いない。 しかし、為時が空しく職を失ってから10年後の ...
996年、紫式部は父・藤原為時の赴任に同行して越前へ向かった。歴史評論家の香原斗志さんは「1年ほど、彼女は越前で暮らし続けるが、越前の風物を詠んだ歌や国内を移動した記録は残っていない。父の世話をしながらも、都を懐かしがってばかりいた」という――。
紫式部は、父の藤原為時から、文学的な素養を受け継いだらしい。 為時は文章生(もんじょうしょう)出身の学者で、貞元2(977)年3月28日に ...
弟の惟規が漢籍をなかなか覚えられないなかで、 式部はしっかり暗誦していた。 為時が口にした意外な言葉 漢学者の父ならば、そんな娘をさぞ ...
【調査】ナゼ?道路の真ん中に200の墓立ち退き進まないワケとは? #みんなのギモン プレジデントオンライン5/12(日)17:17 ...