むろん説話の内容であり、そのまま史実とはいえないが、為時の漢詩の力が任官につながったことを示唆している。伊井春樹氏は「為時は文才によって越前守を射止めたことになり、学問の重要さがあらためて確認される」と記す(『 紫式部の実像 』朝日選書)。
10年も任官がなかった紫式部の父・藤原為時 ... を受けて、後継には道長が選ばれた。 道兼が死去した3日後の5月11日には、権大納言で大臣になっ ...
道兼が死去した3日後の5月11日には、権大納言で大臣になってい ... 申文を提出して、そのなかから選ばれるが、十年間も無官で五位に叙されたばかりの為時としては、下国の淡路守くらいが適当だと判断したのであろうか」と書く(『紫式部と藤原道長 ...
紫式部の父・為時はどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「長いこと出世には縁がない下級貴族だった。だ ...
後世に語り継がれる詩や小説を遺した「文豪」には、世間一般の「ふつう」に馴染めなかった者が少なくない。 しかし「こじらせていた」からこそ、彼・彼女らは文学の才能を開花させることができたと言える。今回は、書籍『こじらせ文学史 ~文豪たちのコンプレックス~ ...
紫式部の父・為時はどんな人物だっ ... に抜擢された」という――。 10年も任官がなかった紫式部の父・藤原為時筑前守と太宰少弐の任期を終え ...
だが、そんなふうに過ごし、厳しい冬を越えて長徳3年(997)の春を迎えたころ、遠縁で旧知の藤原宣孝(ドラマでは佐々木蔵之介が演じている)から、求婚の歌が届いた。そして、何度か歌を交わし合ったのちに、結婚の決心がついた紫式部は、その年末か、翌長徳4年( ...
千年を超えて読み継がれてきた 平安時代 の 長編小説 「 源氏物語 」。作者は言わずと知れた 紫式部 だが、実はその本名も生没年も分かっていない。式部が暮らした現在の 京都市 と東隣の 大津市 ...
清少納言の父は歌人の清原元輔。康保3 (966)年頃に生まれ、橘則光の妻となって数人の子を産んでから離別し、正暦4 (993)年頃、 一条天皇の中宮・定子の女房となりました。
NHK大河ドラマ「光る君へ」(日曜午後8時)は、吉高由里子演じる紫式部を主人公に、1000年の時を超える長編小説「源氏物語」を生み出した女流作家の波乱の一代記… - 日刊スポーツ新聞社のニュースサイト、ニッカンスポーツ・コム(nikkansports ...